選択を正解にするサッカーと人生

コラム

いよいよW杯サッカーが始まります。日本は柔道や水泳等の個人競技では世界を制しても、サッカーのような団体競技ではなかなか世界で勝てません。同じスポーツでも勝敗に差が出るのはどんな理由があるのでしょうか。勉強や人生にも役に立つ視点を探ってみたいと思います。

競争と闘争

「競争闘争理論」(footballista)の著者河内一馬氏は、自らのサッカー人生と世界のサッカーを見てきた経験から、スポーツには、競争するスポーツと闘争するスポーツがあり、日本ではサッカーを「みんな同じスポーツ」と無意識に解釈していることが諸悪の根源と主張しています。体操や競泳等の競争するスポーツでは、選手は「異なる時間・空間」で優劣を競い、相手の選手に妨害されることがありませんので、選手は自らの「技術」に集中することができます。妨害されることなく「技術」が発揮できる競争スポーツは、個人の練習量で差がつきます。「練習は裏切らない」と言われる所以です。一方、サッカーやラグビー等の闘争するスポーツでは、選手は「同じ時間・空間」で競い、相手の選手を妨害することもできます。したがって、どんなに練習を積み重ねても実力を発揮できないことが多く、練習は簡単に裏切られます。闘争スポーツで勝つには、誰にも負けない練習量ではなく、試合における成功体験の積み重ねが重要になります。このような闘争スポーツであるサッカーを競争スポーツと同じように考えてしまう日本では、サッカーにも猛烈な練習量を課して技術を高めることに全力を注いでしまい、相手に影響を与える実戦経験が不足してしまいます。日本人は「テクニックはあるがスキルがない」と言われる所以であり、その原因はサッカーというスポーツの捉え方を間違っていることにあるというわけです。

スポーツの本質

他者からの妨害がない競争スポーツでは、正しい練習を積み重ね、自分の技術を最大限発揮することが勝利につながります。一方、他者から妨害を受ける闘争スポーツでは、何が正しいのか、試合をしてみないことにはわかりません。想像力と判断力を臨機応変に瞬時に働かせ、勝利した時に初めてその時の動きが正しかったと言えるのです。つまり、「正解を選択していく」のが競争スポーツであり、「選択を正解にしていく」のが闘争スポーツになります。

 

受験勉強は言わば「正解を選択していく」競争ゲームであり、他者の妨害がない分、誰にも負けない勉強量が結果につながります。一方、社会に出れば努力が報われないことも増えますし、足の引っ張り合いや競争相手からの妨害もあります。競争から闘争ゲームに変わるわけです。周囲にどんな影響を与えればどんな結果が生まれるのか、どう動いた時に良い結果が生まれるのか、実践を通して「選択を正解にしていく」ことが重要になります。受験で多少失敗したとしても、選んだ高校・大学を正解にしていくよう動いていけばいいわけです。様々な経験をし、数多くの人と出会い、様々な影響を受けることが人生を切り拓きます。「選択を正解にしていくのが人生」、そんなことを考えながら、W杯サッカーでの日本の勝利を生徒と一緒に見届けたいと思います。

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