斎藤喜博の教育観

コラム

斎藤喜博という教育者をご存じでしょうか。明治44年に群馬県に生まれ、群馬県内の小中学校や教職員組合の部長として勤務した後、昭和27年に群馬県の島小学校という生徒数364名の小さな学校に41歳の若さで校長に就任。そこで実践された授業は「島小方式」と呼ばれ、学校で開かれる公開研究会には、全国から1万人以上の研究者、教師が視察に訪れました。授業を中心に据えた子ども達の可能性を引き出す取り組みは、「授業入門」「授業の展開」等の多数の著作物とともに、教育史に名を残した人物として知られています。

授業は芸術である

斎藤喜博の教育思想に「授業は芸術であり、子どもは作品である」という言葉があります。子どもは作品という表現は当時も物議を醸しましたが、決して物扱いしているわけではなく、優れた作品を生み出す芸術と同じように、教師は教材研究を徹底し、子どもの可能性を引き出す授業を作品と呼べる域まで高めることの重要性を指摘しています。その一つの実践として、教師の様々な授業が授業記録として残され、斎藤喜博の次のような考えが記されています。「授業が終わったとき、どの子どもがどんな思考をし、どんな表情をし、他の子どもがどんな発言をし、教師がどんなことをいって授業が展開していったか、全部のことがはっきり頭にはいっており、授業の展開の順序にしたがって、発言も表情も、そのまま再現できるだけの記憶力を持っていなければならない」。授業をビデオ撮影すれば済む話ですが、それを教師の記憶力で記録させるところに凄さを感じます。記憶するためには、プロ棋士が対局の棋譜を丸暗記して再現できるのと同じように、授業が論理的で、集中力を長時間持続しながら子どもがよく見えていないといけません。このように練り上げられた授業を創っては壊し、さらに新たなものを創っては壊すことを繰り返すことで、子どもの中に作品を作り上げていくのが授業だと指摘しています。

教育ははかないもの

斎藤喜博が教師によく語っていたことの中に、「教育ははかないものであり、芸術と同じように一瞬の輝きの中で消滅していくもの」という教育論があります。「教師は、子どもとか、学級とか、授業とかによって自分の仕事を表現する作家である。その作品は、文学とか絵画とかのように、はっきりとそのまま残るものではない。一時間の授業は、その時間が終われば消えてしまうし、すばらしい子どもの姿も、瞬間瞬間のものであって、定着していつまでもあるものではない。考えようによっては、教師は、そういうはかないさびしい作品を残す作家である」。子どもの未来を創るとか、将来について責任を負うなどと大仰なことを考えなくとも、練り上げられた授業によって一瞬でも子どもが輝くときを創ることで、「子どもの無限の可能性」を示してあげることが教育の役割だと述べています。 少子化や大学全入時代が叫ばれ、学習塾再編も進む中、今後学習塾業界がどうなっていくのか、先行きも見えづらくなっているように思えます。売上や生徒数等の経済論理だけで語られがちですが、斎藤喜博のような教育論理で語られる塾業界であってもいいのではないでしょうか。厳しい激変の時代だからこそ、教育の本質が改めて問われていることを感じます。

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