デジタル教科書と不易と流行

コラム

デジタル教科書

文科省の方針で、今年度よりデジタル教科書の使用制限が撤廃されることになりました。デジタル教科書については賛否両論があります。ある調査によると、全国の公立小中学校を所管する自治体の9割が、デジタル教科書の使用に不安や懸念を抱いているようです。

不安に思うことの第一位は、視力の低下等の健康面の不安で、その他にも紙の教科書のメリットや書くことの重要性等が指摘されています。これから子ども達が生きていくデジタル社会や、個別最適化の動き、知識よりも思考力や表現力を問われる流れを考えると、多少賛否両論があっても、時代の流れを大人たちがくみ取り、未来志向で流行に対処することが重要に思えますが、旧来のアナログの良さも理解できます。

 

不易と流行

不易流行という言葉があります。どんなに時代が変わってもぶれないことが大切、同じように、時代とともに変化に対応していくことも大切という考えです。デジタル教科書は流行にあたりますが、不易というのは、学習塾で言えば、塾長の思想や哲学で決まるものと言えます。

 

教育は作品である

弊社内には、「教育は作品である」という哲学があります。斎藤喜博という教育者がいたことをご存知でしょうか。1963年の著作「私の教師論」には、教育は創造の仕事であると書かれています。「教師の仕事は、創造の仕事であるとともに、一面、勝負師的なところのある仕事でもある。教師の仕事は、一時間の授業のなかで、つぎつぎと新鮮な創造を生み出していかなければならないのだが、そういう創造は、はげしい格闘のなかからしか生み出すことはできないからである。教材とか子どもとかの相手のあるなかで、自分とたたかい、教材とたたかい、子どもとたたかうなかからだけ、新鮮な創造を生み出すことができるからである」という表現には、教師でなくても熱いものを感じます。教育というのは消耗品ではなく、いつまでも子ども達の心の中に残り続ける作品であるという哲学です。それを物語るエピソードがあります。弊社は創業以来、大量の宿題を出して人間の生地を鍛えることを大切にしています。「社会に出ればもっと大きな困難が待ち受けている。この苦しみはきっと君たちが大人になった時に役立つはずだ。負けるな。」と子ども達を励ますこともあります。ある日、昔の教室があった建物の前に、一人の青年が立っているのを建物のオーナーが見つけ、どうしたのか尋ねました。その青年はこう言ったそうです。「昔、ここにあった塾に通っていました。苦しいことがあれば、いつでもここでの日々を思い出せと言われたものですから。」そう言って青年は建物をあとにしたそうです。

デジタル教科書のような流行を追いかけないといけないことがあっても、学習塾が大切にしてきた不易の部分をしっかり腹に据えておきたいものです。目先の物事に惑わされない先生にこそ、子ども達はついていくと信じています。

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