2023年の入試も終わり、今年も思考力や理解力を問う傾向が続いています。入試を終えた理系の高3生に聞くと、「数学は暗記科目だと思う。入試で問題を見てパッと解法が浮かばなかったら時間内に解けない。」と言っていました。数学は暗記科目なのでしょうか?
路上の算数
「数学する本能」(キース・デブリン著)では、貧しくてほとんど教育を受けていない12歳前後の子ども達が、店子として立派に仕事をしている様子が紹介されています。ココナッツを売る店にいる少年に「ひとついくら?」と尋ねると、にっこりしながら「35」と答えます。「じゃ、10個もらおうかな。いくらになる?」と尋ねます。するとその少年は声に出しながら「三つで105、あと三つで210と。それにあと4つだろ。315・・350だと思うよ」と正しく計算します。三つ買うお客様が多いので三つ単位で計算するのでしょう。算数を習わなくても正しく計算できます。ところが、この少年に学校で習う計算テストを受けさせて「35×4=」と尋ねると「5×4は20だ。2をあげて、2と3を足すと5、これに4をかけると20になる。答えは200」と間違ってしまいます。学校以外では正しく計算できるのに、学校では間違ってしまうこの少年は、数学の理解力がないのでしょうか?
文脈依存性
この謎は、認知心理学では「文脈依存性」という言葉で説明されています。人間は、意味のあることなら理解できますが、意味のないことを理解するのは苦手なのです。日常生活をイメージさせる計算なら意味として理解できますが、単なる抽象的な記号の羅列では意味を感じられず、理解できないわけです。「3%の食塩水200gに5%の食塩水300gをまぜると何%の食塩水ができるでしょうか?」という問題も、濃度を単純に足してしまい、正解できる子は多くありません。一方、「角砂糖を1個だけ入れた紅茶を2杯作りました。混ぜると、元の紅茶より甘くなりますか?薄くなりますか?」と尋ねると、ほとんどの子は「同じ」と正解を答えます。本質は同じ問題であっても、それが置かれた状況によって、理解度が変わってしまいます。
状況学習論
言語認知や学習理論の研究者であるレイヴとウェンガーは、「状況学習論」を唱え、従来の学習のあり方に疑問を呈しました。従来の、教える先生と教わる生徒との間で知識をやりとりするだけの学習ではなく、実際の社会を入口に、社会に埋め込まれた知識を身につけることが学習の本質と述べています。例えば数学の一次関数の問題では、水道料金表を資料として見せ、「今月の水道使用料は28㎥でした。銀行に前もっていくら振り込んでおけばいいですか?」という日常的な問題を通じ、水道使用量と料金の関係が一次関数であることに気づかせる学習です。そのためには、公式等が意味する数学の本質的な理解が必要で、「数学は理解が大事」と言えます。
一方、「一次関数は理解しているのに、問題が一次関数を聞いていることがわからないと解けないというのは、数学ではなく国語の試験ではないのか」という批判もあるでしょう。余計な文脈や社会状況を省き、数学の知識だけを問う試験の方が公平だというわけです。確かに、現在の共通テストは、国語に似た長々とした文章を読んだ末にようやく数学が問われる印象を受けます。学校と違い、学習塾には本質をじっくり生徒と話し合う時間はありません。「数学は暗記科目だ」と言いたくなります。このジレンマを学習塾はどう乗り越えたらいいのか、様々な知見を伺ってみたくなります。